大学8 投稿日: 2019年1月27日 4:45 PM kmg コメント 所謂身(いわゆるみ)を修(おさ)むるには、其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しうするに在(あ)りとは、身忿懥(みふんち)する所有(ところあ)れば、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。 恐懼(きょうく)する所有(ところあ)れば、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。 好樂(こうらく)する所有(ところあ)れば、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。 憂患(ゆうかん)する所有(ところあ)れば、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。 心焉(こころここ)に在(あ)らざれば、視(み)て見(み)えず、聽(き)きて聞(きこ)えず、食(くら)いて其(そ)の味(あじ)を知(し)らず。 此(これ)を身(み)を修(おさ)むるには、其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しうするに在(あ)りと謂(い)う。 📂投稿グループ 大学 📎タグ 大学
2019年1月26日 kmg 大学5子曰(しのたま)わく、訟(うったえ)を聽(き)くこと吾猶人(われなおひと)のごときなり。必(かなら)ずや訟無(うったえな)から使(し)めんかと。 情無(まことな)き者(もの)は、其(そ)の辭(ことば)...